天下人と名高い徳川家康が29歳から45歳(※年齢は数え年)まで17年間在城し、その後、家康ゆかりの譜代大名が代々城主を務め、後に江戸時代の要職に出世した人が多いことから「出世城」とも呼ばれる、浜松城。
今回は家康の浜松城築城から450年の節目(2020年)に合わせ、2021年1月にリニューアルした天守閣展示と浜松城公園や旧跡など、家康ゆかりのスポットをたっぷりとご案内していきます。
まずは、家康の生涯とともに浜松城時代のエピソードをご紹介しましよう。
徳川家康の生涯と浜松城時代のエピソード
日本の歴史上、最も有名な偉人の一人である徳川家康は、1542年岡崎城主・松平広忠の長男として誕生。幼名は竹千代といいました。7歳の時、今川義元の人質となり駿府へ移ります。桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれると、家康は岡崎城に戻り信長と結盟、24歳で徳川家康を名乗ることになります。
1570年、家康は本拠地を浜松に移し、浜松城の前身である引間城を拡張改修し浜松城を築城しますが、その頃から遠江国の覇権をめぐり、武田信玄との抗争が激化していきます。
生涯最大の敗戦、三方ヶ原の戦い
1572年、上洛途中の武田信玄が遠江国に進軍。北遠地方を手中におさめた武田軍は2万7千の兵を連れて南下します。その時、三方ヶ原へ向かった徳川軍は1万2千……。数に勝る武田騎馬軍団に徳川軍は総崩れとなり、家康は九死に一生を得て浜松城(古城・引間城)へ逃げ帰りました。
起死回生の策を練った犀ヶ崖の奇襲
家康は犀ヶ崖付近に陣を張る武田軍を崖に落とそうと策を練り、夜襲をかけます。まず崖に白い布を張り橋に見せかけ、次に浜松城近くの普済寺に火を放ち浜松城炎上と見せかけました。そして武田陣営の背後から援軍が来たと思い込ませ、人馬もろとも谷底へ追い落としたといわれています。三方ヶ原の戦いで家康は大敗北したものの、戦国最強の武田信玄に果敢に立ち向かったことで家康の武勇が世に知られるところとなりました。
三方ヶ原の戦いから3年後、長篠の戦いで織田・徳川連合軍は武田軍に大勝し、遠江国を手に入れます。そして1586年、居城を浜松城から駿府城へ。豊臣秀吉死去の後は関ヶ原の戦いで西軍を破り、1603年に征夷大将軍に就任、江戸幕府を開きます。
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■犀ヶ崖資料館
開館時間9:00~17:00
月曜定休 観覧無料
犀ヶ崖資料館
2021年、浜松城天守閣をリニューアル
こうした家康のエピソードを知った上で浜松城を見学すると、より理解を深め、楽しむことができます。
浜松城は、三方原台地の斜面に沿って最高所に天守曲輪(ぐるわ)があり、本丸、二の丸、三の丸が階段状に並んだ「梯郭式」の築城法でした。天守は2代目城主・堀尾吉晴の時代に造られたものと伝わっています。堀尾吉晴がその後に治めた松江城は、創建時の浜松城天守を参考に築いたと考えられています。
現在の天守閣は、1959年に地元住民の寄付によって再建された復興天守閣ですが、天守台の大きさから実際はこの1.5倍の大きさがあったと推測されています。
2021年1月、そんな天守閣の展示に大幅なリニューアルが行われました。地下1階から地上3階の各フロアごとにテーマが設けられ、映像やパネルによる解説、立体3D像などで家康の熱い生き様を感じられる展示になっています。それでは場内に入ってみましょう!
1階:人〜情熱の層〜
1階のテーマは「人〜情熱の層〜」。家康の生い立ちと決戦にかける熱き思い、17年間を過ごした浜松城での出来事を紹介しています。施設内には法被を着たボランティアガイドさんが2名常駐しているので、ぜひ気軽に声をかけてみてください。詳しい解説を聞かせてくれます。
一階で一番の注目は、覇気溢れる等身大の家康像。
1572年、わずかな兵で武田信玄との三方ヶ原の戦いへ出陣していく、31歳の家康の姿を再現した像。力漲る、これぞ戦国武将といった精悍な姿が印象的です。この家康像は約158センチの等身大。現代では少し小柄と感じますが、当時の成人男性の平均的な身長だったようです。
岡崎市・大樹寺にある等身大(臨終時の身長)の位牌などの資料から再現されたもので、皮膚感など細部まで精巧な作りになっています。
像の横に並ぶのは家康が着けていた甲冑(どちらも複製)。写真左の金陀美具足(きんたびぐそく)は初陣に出た時の甲冑で、右の歯朶具足(しだぐそく)は関ケ原の戦いの時に着用したもの。家康の人生において、非常に大きな意味を持つ戦で用いられた甲冑が並びます。金陀美具足は家康が駿府で人質時代を送っていた時に着用し、手柄を立てたことで、縁起の良い物として徳川家に代々伝わる甲冑なのだそうです。
2階:城〜情勢の層〜
2階には、江戸時代後期、浜松藩の頃の街並みを縮尺600分の1で再現したジオラマや、歴代城主と浜松城の歴史を学べる展示がありました。昭和33年に天守閣を復元した当時の様子なども紹介されており、江戸と昭和を比べることもできます。
3階:街〜情景の層〜
展望台のある3階へ。3階、きらびやかな金箔の天井には、三つ葉葵の徳川家のものをはじめ歴代城主、全12種類の家紋が描かれています。美しく、迫力のある天井に、思わず見惚れてしまいます。
展望台からは、天守を築いた二代目以降の城主たちが眺めた景色が広がります。北に三方原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、晴れた日は東に富士山を眺められることも!
地下室:約400年間埋められていた井戸
最後は一気に地下へ。地下には復興天守閣建設に先立つ発掘調査で発見された井戸を見ることができます。ボランティアガイドさんによれば、天守台地下に井戸が残っているのは、伊賀上野城・名古屋城・松江城・熊本城と全国に5つのみだそうです。
売店では城グッズも販売。浜松城オリジナルロゴがついているものは、すべてここでしか買えない限定商品なのでお土産にもおすすめです。
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■浜松城天守門・天守閣
開館時間8:30~16:30(入場は16:20まで)
料金:大人200円(天守門・天守閣共通)※小中学生、70歳以上は無料
400年前の石垣に隠された厄除けのハート石
浜松城の石垣を見ていると、大小様々な大きさや形の石が積み上げられていて、石が揃っていないような印象を受けるかもしれません。これは自然石を上下に組み合わせて積み上げる、野面積み(のづらづみ)という手法で作られているもの。一見崩れやすそうに見えますが、内側に小石や砂利が詰めてあり、とても強固で、400年の風雪に耐え、今なお当時の姿を残しています。現存する野面積みの石垣というのは珍しく、浜松城の見どころのひとつでもあります。
実は最近、この石垣にハート型の石が2つ隠れているということがインターネットやSNSを中心に話題となりました。猪目と呼ばれるハート型は魔除けや厄除けの意味があるそう。見つけられたら幸せになれるかも!? ぜひ探してみてくださいね。
こちらは2014年に復元された天守門。天守台の東に位置する艪門(やぐらもん)で出土した瓦片の展示や、壁をよじ登ってくる敵を追い払うための石落とし、おみくじなどもあります。
浜松市民、憩いの場!浜松城公園を散策
浜松城を取り囲む浜松城公園は、春には約330本のソメイヨシノが花開きライトアップも開催される桜の名所の一つ。日本庭園を有する自然公園というのも珍しく、滝・東屋・池などを観て回る廻遊式の、深山(みやま)渓谷を再現した庭園は結婚式のロケーション撮影としても人気です。
日本庭園の入り口には3つめのハート石もあります! こちらもぜひ探してみてください。
その他、ピクニックに最適な石舞台や展望広場があったり、中央芝生広場ではイベントも多数開催されています。通りを挟み、無料の児童プールにアスレチック公園もあるので、夏場は親子連れでいっぱいになります。
さらに公園内の浜松市茶室 松韻亭では、400円というリーズナブルな価格で呈茶サービス(お茶・お菓子)を楽しむこともできます。椅子に座る立礼席なので、服装の規定も特にないとのこと。公園散策の休憩に立ち寄ってみるのもいいですね。
最強の出世パワースポット、東照宮
最後に、浜松城の目の前に立つ「最強の出世パワースポット」と呼び声高い東照宮をご紹介します。
ここには元々、今川家の拠点だった引間城がありましたが、家康が攻め入城。家康が城地を拡大し、浜松城の一郭として取り込まれました。
1886年、跡地は家康を祀る東照宮となり、社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られます。現在、家康公の像と、若き日に浜松で奉公していたとされる秀吉公の像が建ち、両者の間に立って写真が撮れるようになっています。
家康、秀吉と2人の天下人が訪れたとあれば、それは確かに「最強の出世パワースポット」! 県外からも訪れる人が多いというのも納得です。
戦国の世を、天下泰平の世を築くために激闘した徳川家康。その生き様とロマン、みなぎるパワーを感じられる浜松城の歴史散策に出かけてみませんか。
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■浜松城
住所:浜松市中央区元城町100-2
TEL:053-453-3872
営業時間:8:30〜16:30
休館日:12月29・30・31日
入場料:大人(高校生以上)200円/中学生以下無料