浜松城へはJR浜松駅北口から徒歩で約15分。家康のゆかりを巡る「家康の散歩道」を頼りにのんびりむかうのもおすすめです。浜松城といえば、後に天下人となった徳川家康が29歳から45歳(※年齢は数え年)の間在城し、その後、家康ゆかりの譜代大名が代々城主を勤め、在城中に老中まで栄進した人が多いことから「出世城」と呼ばれています。
まずは、家康の生涯とともに浜松城時代のエピソードをご紹介しましよう。
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徳川家康の生涯
1542年岡崎城主・松平広忠の長男として誕生。7歳の時、今川義元の人質となり駿府へ移ります。桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれると、岡崎城に戻って信長と同盟を結び、24歳で徳川家康と名乗ります。
1570年に本拠地を浜松に移し、浜松城を築城。遠江国の覇権をめぐり武田信玄と抗争が激化するなか、1572年三方原の合戦で武田軍に大敗します。
生涯最大の敗戦・三方原の戦い
1572年家康31歳。上洛途中の武田信玄が遠江国に進軍。北遠地方を手中におさめ南下した武田軍は2万7千、三方原へ向かった徳川軍は1万2千。数に勝る武田騎馬軍団に徳川軍は総崩れとなり、家康は九死に一生を得て浜松城(古城・引間城)へ逃げ帰りました。
犀ヶ崖の奇襲
家康は浜松城に籠城。犀ヶ崖付近に陣を張る武田軍を崖に落とそうと策を練り、まず崖に白い布を張り橋に見せかけ、次に浜松城近くの普済寺に火を放ち浜松城炎上と見せかけました。
そして武田陣営の背後から援軍が来たと思い込ませ、人馬もろとも谷底へ追い落としたといわれています。
三方原の戦いで家康は大敗北したものの、戦国最強の武田信玄に果敢に立ち向かったことで、武名を上げることになりました。
犀ヶ崖資料館 開館時間9:00~17:00 月曜定休 観覧無料
そして、大敗した三方原の戦いの3年後の、篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍に大勝し、遠江国を手に入れます。1586年居城を浜松城から駿府城へ。豊臣秀吉死去の後、関ヶ原の戦いで西軍を破り、1603年征夷大将軍に就任、江戸幕府を開きます。
出世城と呼ばれた浜松城
こうした家康の背景を知った上で、浜松城を見学すると、また面白みが違ってくるのかもしれません。家康の築いた城は、三方原台地の斜面に沿って最高所に天守曲輪があり、本丸、二の丸、三の丸が階段状に並んだ「梯郭式」の築城法でした。天守は2代目城主・堀尾吉晴の時代につくられましたが、資料がないため詳しいことはわかっていません。堀尾吉晴がその後治めた松江城は、創建時の浜松城天守を参考に築いたと考えられているので、国宝松江城で浜松城を偲んでみるのもいいでしょう。
1959年に天守閣は再建されています。そして2014年に天守門が復元され、今に至ります。見どころは何といっても石垣。自然石を上下に組み合せて積み上げる野面積みで、一見崩れやすそうに見えますが、内側に小石や砂利を詰めてあり強固なんですよ。また城内には10本の井戸があったといわれ、天守台の井戸は再建の時に残し、現在は天守閣の地下室でその井戸を見ることができます。ボランティアガイドさんによると、天守台地下に井戸が残っているのは、伊賀上野城・名古屋城・松江城・熊本城と全国に5つのみだそうです。
展望室からは遠州灘、浜名湖がくっきり。晴れた日は富士山も眺められます。
2020年は家康が浜松城を開いて450周年の節目の年。展示コーナーを充実させる計画があり、築城時の城郭のCGを上映するパノラマスクリーンを設置(秋公開予定)。ますます楽しみですね。
開館時間8:30~16:30 入場料大人200円、小中学生は無料
当世具足(とうせぐそく)。甲冑のほか、敗戦(三方原の戦い)を肝に銘ずるために描かせたと言われる有名な「しかみ像」の絵画も展示されています。常駐するボランティアガイドさんが案内をしてくださいました。
浜松城天守閣売店で購入できる「徳川軍旗手拭い 800円」浜松特産の注染染め。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」は家康が旗印に使っていた言葉。「穢(けが)れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土をこい願う」という意味です。
浜松城公園の見どころ
滝・東屋・池などを観て回る「深山(みやま)式回遊型の日本庭園があります。春のしだれ桜、秋のもみじが有名で、結婚式のロケーション撮影でも人気のスポット。その他、ピクニックに最適な石舞台、中央芝生広場は市民のオアシスとなりイベント開催も多数行われています。
家康ゆかりの地をめぐる「家康の散歩道」
JR浜松駅を出発し、東照宮(引間城跡)や浜松城を経由して、最後、家康の正室・築山御前を切った太刀を洗った伝説の池まで、ポイント全15ヵ所、全長約10km、徒歩約2時間のコースを設けています。中でも注目なのが東照宮。
ここはもともと今川家の拠点だった引間城があり、家康が攻め入城します。家康は城地を拡大し、浜松城の一郭として取り込まれました。1886年、跡地は家康を祀る東照宮となり、社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られます。現在、家康公の像と若き日に浜松で奉公していたとされる秀吉公の像が建ち、両者の間に立って写真が撮れるようになっています。
パワースポットとして有名に!