願掛けや厄払いに!一宮、総本社など静岡県が誇るご利益パワースポット神社6選!

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富士山本宮浅間大社 鳥居

静岡県は、かつては伊豆国(いずのくに)、駿河国(するがのくに)、遠江国(とおとうみのくに)の3つの国に分かれており、それぞれの国の中で最も社格の高い神社を一宮(いちのみや)、また、地域の神社の祭神を集めて祀った(合祀)神社を総社(そうじゃ)と位置づけ、古来、朝廷をはじめ、歴史にその名を遺す武将たちから篤い崇敬を受けてきました。
またこの中には、浅間神社、東照宮、秋葉神社など、全国各地に多数存在する神社の総本宮、創祀となった神社があり、これらは、それぞれの信仰の起源とも言える大変由緒あるものです。
ここでは、静岡県の中でも特に社格が高く、由緒ある神社、6社をご紹介します。 それぞれの起源、由来、伝承などから、これらがいかに貴重な文化財であり、上古の時代から篤い信仰の対象として大切にされてきたかを、感じていただければと思います。

伊豆エリア

三嶋大社 本殿
三嶋大社 本殿
三嶋大社_桜
三嶋大社 神池(しんち)の周りに咲く枝垂桜

三嶋大社(三島市)

三嶋大社は、JR三島駅から徒歩15分ほど、富士山の伏流水が豊かで美しい湧水となって水路を流れる、三島市街地に位置しています。
創建時期こそ不明なものの、山森農産の守護神・大山祇命(おおやまつみのみこと)と、俗に恵比須様とも称され、福徳の神として知られる積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の二柱を御祭神とし、奈良・平安時代の古書にも記録が残るなど、古来この地に鎮座し、篤い崇敬を受けてきました。
社名の「三嶋」は、伊豆大島・三宅島などから成る伊豆諸島を指すとされていますが、いつしかこの地の地名も、大社に由来して「三島」と称されるようになったと言われています。
中世に入ると、伊豆国一宮(いずのくにいちのみや)・伊豆国総社(いずのくにそうじゃ)に位置づけられ、武士の崇敬、殊に平治の乱の後、伊豆に配流された源頼朝が深く崇敬し、その旗揚げに際して、平家追討・源氏再興を祈願したと伝えられています。後にこれが成就すると、さらに信仰を篤くし、多くの社領・神宝が寄進されることとなりました。特に頼朝の妻・北条政子が奉納したと伝えられる「梅蒔絵手箱(うめまきえてばこ)」は当時の最高技術の粋を結集させた名品として国宝に指定されているほか、重要文化財の太刀「銘宗忠(めい むねただ)」など、多くの貴重な神宝が所蔵されています。
現在の主要社殿は安政東海地震による倒壊後、1866(慶応2)年に再建されたもので、本殿・幣殿・拝殿からなり、これら3殿は江戸時代を代表する建造物として重要文化財に指定されています。
春にはソメイヨシノや三島桜、枝垂桜が咲き誇る桜の名所であり、また秋には樹齢1200年を超えると推定され、国の天然記念物に指定されている金木犀が薄黄色の可憐な花を咲かせ、甘い芳香を発しています。

源氏再興という悲願を見事に果たし、征夷大将軍となった源頼朝が篤く崇敬した三嶋大社・・・伊豆随一のパワースポットで、その御利益にあずかってみませんか?

【問い合わせ】三嶋大社 TEL: 055-975-0172

富士エリア

富士山本宮浅間大社
富士山本宮浅間大社 拝殿・幣殿
富士山本宮浅間大社 湧玉池

富士山本宮浅間大社(富士宮市)

富士山本宮浅間大社は、JR身延線富士宮駅から徒歩10分ほど、富士宮市の中心部に位置しています。
「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇(こうれいてんのう)の御代に富士山が大噴火し、周辺住民が離散して長期にわたり荒れ果てた状態が続いたため、これを憂いた第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)がその御代の3年(紀元前27年)、富士山を神(浅間大神)として祀り、山霊を鎮められたことが起源とされています。
富士山を、その美しい姿から女神と見る信仰は古くからあり、『古事記』においてもその美しさを称えられ、天孫降臨の伝説で知られる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の皇后となった木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神としています。また、「木花(このはな)」は桜の古名であることから、祭神にまつわる桜を御神木として、約500本もの桜樹が奉納されており、境内は桜の名所としても知られています。
全国に1300余ある浅間大社の総本宮であるとともに、駿河国一宮(するがのくにいちのみや)として、古来朝廷や、源頼朝、北条義時、武田信玄・勝頼親子、徳川家康など、名立たる武将の篤い崇敬を受けてきました。
現在の社殿は、1604(慶長9)年、徳川家康の造営によるもので、本殿・拝殿・楼門が現存し、本殿は国の重要文化財に指定されています。また、富士山の溶岩の間から湧出した地下水が池となった湧玉池(わくたまいけ)は、国の特別天然記念物に指定されており、平成の名水百選にも数えられています。『絹本著色富士曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくふじまんだらず)』には、登山者(道者)がこの池で心身を浄めた後に山中へ向かう姿が描かれるなど、ここにも富士山信仰との深い繋がりを伺うことができます。

古来、富士山信仰の中心地であった富士山本宮浅間大社・・・霊峰・富士を鎮める“桜の女神”に会いに行ってみませんか?

【問い合わせ】富士山本宮浅間大社 TEL:0544-27-2002

中部エリア

久能山東照宮/社殿
久能山東照宮 1159段の石段からの眺め

久能山東照宮(静岡市)

久能山東照宮は、静岡市駿河区、駿河湾を眼下に望む久能山山頂付近に位置しており、参拝には、日本平山頂からのロープウェイ利用、または駿河湾側の久能山麓から1159段の階段を上る方法があります。
晩年を「大御所」として駿府城に在城し、1616(元和2)年にその生涯を閉じた徳川家康公の、「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ。関八州の鎮守になろう」との遺言により創建されました。
生前、あらゆる艱難辛苦の末に戦乱の世に終止符を打ち、260余年にもわたる泰平の世の礎を築いた家康公は、朝廷より「東照大権現」の神号を賜って御祭神となり、創建以来、平和の守護神、国家鎮護の神として、朝廷・幕府から篤い崇敬を受けてきました。
名古屋城、二条城、仁和寺などを手掛けた名工・中井正清を大工棟梁とし、当時最高の建築技術・芸術を結集して建立された総漆塗、極彩色の社殿は、「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれ、日光東照宮をはじめ全国に多数造営された東照宮の創祀・原型となっています。
近年では、2006(平成18)年に社殿の漆塗り替えを完了し、古の壮麗な姿が蘇るとともに、2010(平成22)年には、江戸初期の代表的建造物であり、名工・中井正清の晩年の傑作として、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されています。
また、隣接する博物館には、1611(慶長16)年、海難救助の御礼としてスペイン国王フェリペ3世から家康公に贈られたとされる洋時計(重要文化財)をはじめ、徳川歴代将軍が所有した太刀、甲冑、装身具など、多数の貴重な品々が収蔵されています。

「パクス・トクガワ-ナ」とも呼ばれ、日本に世界史上類を見ない長期の平和をもたらした徳川家康公・・・久能山東照宮で、もう一度、平和への思いをあらたにしてみてはいかがでしょうか?

【問い合わせ】久能山東照宮社務所 TEL:054-237-2438

静岡浅間大社 大拝殿
静岡浅間大社 改修後の楼門

静岡浅間神社(静岡市)

静岡浅間神社は、静岡市街地にある駿府城公園から徒歩15分ほど、静岡の地名発祥の地として知られる賎機山(しずはたやま)の麓に位置しています。
「静岡浅間神社」の呼称は、第10代崇神天皇(すじんてんのう)の御代、約2100年前の鎮座と伝えられ、駿河国開拓の祖神とされる大己貴命(おおなむちのみこと)を御祭神とする神部神社(かんべじんじゃ)と、901(延喜元)年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀され、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)を御祭神とする浅間神社(あさまじんじゃ)、さらに第15代応神天皇(おうじんてんのう)の御代、約1700年前の鎮座と伝えられ、地主神である大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)を御祭神とする大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)という三社の総称であり、通称「おせんげんさん」とも呼ばれています。
古来、駿河国総社(するがのくにそうじゃ)として、朝廷、国司・武将たちから篤い崇敬を受け、幼少期、今川氏の人質であった徳川家康(幼名:竹千代)が、今川義元を烏帽子親として、この社で元服式を行ったことでも知られています。家康は、生涯にわたってこの社を篤く崇敬したことから、歴代徳川将軍の祈願所となり、江戸幕府から手厚い庇護を受けてきました。
火災により何度か焼失を繰り返してきましたが、現在に残る社殿の多くは、1804(文化元)年から60年余りの歳月と、10万両もの巨費を投じて再建されたもので、26棟に及ぶ社殿が国の重要文化財に指定される豪華な建築群となっています。また現在は、2014(平成26)年から20年もの歳月をかけて大改修が進められており、改修を終えた北回廊、楼門などでは、艶やかな光沢を放つ創建時の華麗な姿が蘇っています。

幼少期に苦難の時を過ごし、後に天下人となって再びこの地に帰ってきた徳川家康と深い縁をもち、篤い崇敬を受けた静岡浅間神社・・・是非、そのパワーを感じ取ってみてください。

【問い合わせ】静岡浅間神社 TEL:054-245-1820

西部エリア

小國神社 社殿
小國神社 新緑の古代の森

小國神社(森町)

小國神社は、静岡県の西部・森町の山深く、本宮山の山麓から湧き出る清流・宮川のほとりに鎮座しています。
創建時期は不明ですが、社殿によると、第29代欽明天皇(きんめいてんのう)の御代16年(555年)、本宮山に神霊が示現したことから、勅命により社殿が造営されたことが起源とされています。別名を大国主命(おおくにぬしのみこと)・大黒様(だいこくさま)とも呼ばれる大己貴命(おおなむちのみこと)を御祭神とし、遠江国一宮(とおとうみのくにいちのみや)として古来、朝廷、数々の武将から崇敬を受けてきました。また近年では、事任神社(ことのままのかみやしろ)・・・願い事が意のままに叶う御霊験あらたかな神社としても広く知られています。
約30万坪にも及ぶ広大な御神域は「古代の森」とも言われ、樹齢300年を超える杉や檜の巨樹が鬱蒼と立ち並び、清浄な空気に包まれています。四季折々に花々が咲き誇り、境内を美しく彩っていますが、特に紅葉の名所として名高く、秋には御神域の中を流れる宮川沿いに、林立する大小約1000本のもみじが鮮やかに色づき、宮川を錦に染める荘厳な光景を見ることができます。
社殿についての伝承によれば、1572(元亀元)年、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、徳川家康は御神霊を別所に遷し、願文と三条古鍛治宗近(さんじょうこかじむねちか)作の太刀を奉納して戦勝を祈願すると社頭に火を放ち、全ての社殿を焼失しました。後に勝利を得て祈願成就した家康は、1575(天正3)年に社殿を再建したと伝えられていますが、1882(明治15)年には再度の火災により再び焼失、1886(明治19)年に復興され、現在に至っています。

深い山の中、鎮守の森に包まれて閑に鎮座する小國神社・・・その荘厳で清浄な空気は、きっと訪れる人たちの心と身体を浄めてくれるはずです。

【問い合わせ】小國神社 TEL:0538-89-7302

秋葉山本宮秋葉神社 上社社殿
秋葉山本宮秋葉神社 幸福の鳥居

秋葉山本宮秋葉神社(浜松市)

秋葉山本宮秋葉神社は、浜松市天竜区、秋葉山の山頂付近に鎮座する上社(かみしゃ)、山麓に鎮座する下社(しもしゃ)から成り、全国に400社以上を数える秋葉神社の総本宮です。
創建時期には諸説ありますが、社伝によれば、709(和銅2)年、山が鳴動し火が燃え上がったため、第43代元明天皇(げんめいてんのう)より「あなとふと 秋葉の山にまし坐せる この日の本の 火防ぎの神」との御製(ぎょせい)を賜り、社殿が建立されたとされています。
火を司る神・火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)を御祭神とし、古来、火災鎮護、また武運長久の神として篤い崇敬を受け、足利尊氏、武田信玄、豊臣秀吉、加藤清正、福島正則など名立たる武将から数多くの刀剣が奉納されたことでも知られています。これらの刀剣は、太刀「銘 安縄(めい やすなわ)」、太刀「銘 弘次(めい ひろつぐ)」、太刀「銘 来国光(めい らいくにみつ)」など重要文化財3振を含む貴重もので、神宝として大切に収蔵されています。
社殿は、第二次世界大戦中の1943(昭和18)年、山火事の類焼により焼失してしまい、戦中戦後は再建も容易でなかったため、気田川を臨む山麓に下社を造営して祭祀を継続してきましたが、1986(昭和61)年には山頂に上社が再建され、また、相前後して山頂に通じる林道も整備されたことから、名実ともに秋葉山本宮秋葉神社として復興を果たしました。
標高866mの山頂には、1993(平成5)年に皇太子殿下の御成婚を記念して建立された「幸福の鳥居」が黄金に輝き、また、ここからの眺望は、遠州の山々や街並み、天竜川、彼方には駿河湾を望み、東海一の絶景とも言われています。

秋葉山山頂、天空に鎮座する上社と、気田川の清流を臨み、山麓に鎮座する下社・・・周囲を包む雄大な自然とともに、秋葉山本宮秋葉神社からパワーを受け取り、その御利益にあずかってみてはいかがでしょうか?

【問い合わせ】秋葉山本宮秋葉神社 上社 TEL:053-985-0111