熱海日帰り旅!源頼朝と北条政子が愛を育んだ伊豆山神社とMOA美術館で歴史と芸術に親しむ大人旅を

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いで湯のまち、熱海。市街地の北東に位置する伊豆山地区は、古くから温泉が湧き、源泉のひとつ「走り湯」は霊泉として信仰の対象となりました。走り湯が湧く山の手にある伊豆山神社は、平安時代以降は富士登拝の修行の場として、また源頼朝をはじめとする名だたる武将が武運長久の祈りの場として、長きにわたり崇敬を集めています。
近年は縁結びのご利益を求めて、多くの人が参拝します。平家打倒に立ち上がる前の源頼朝が、北条政子とたびたび逢瀬を重ねた場でもあり、境内にはゆかりの腰掛け石があります。

山の斜面に広がる伊豆山地区。古代から変わらない伊豆半島や相模灘の眺めは格別です。この眺めに魅せられてMOA美術館の創立者・岡田茂吉氏は、この地に美術館を建設しました。

そんな伊豆山地区で歴史と芸術に触れる小さな旅を楽しんでみませんか。

修行の場として、関東一円の守り神として崇敬されてきた伊豆山神社

かつては武運を祈念した武将が、現代では開運や縁結びなどのご利益を求める人びとが多く参拝する境内

江戸時代以前の伊豆山神社は、「伊豆山権現(いずさんごんげん)」「伊豆大権現(いずだいごんげん)」「走湯大権現(そうとうだいごんげん)」「伊豆御宮(いずおんみや)」などと称されていました。確かな年代は不詳ですが、創建は紀元前5〜4世紀にまで遡り、伊豆山から北西にある日金山(ひがねさん)に飛来した伊豆大神を祀ったことが始まりと伝えられています。836年に、現在の場所に社殿が建造されました。 古くから、伊豆半島から箱根にかけての地域は修験道が盛んで、その中心だった伊豆山権現は、鎌倉時代から室町時代にかけて興隆します。最盛期には、僧坊や修験坊が64もあり、3800人の僧兵がいたと伝わっています。現在の関東地方ほぼ一円の平安をまもる寺社である「関八州総鎮護」と称されていることからも、当時の存在感の大きさが伺えます。 明治維新の神仏分離令で、伊豆山神社と改称され、現在も強運守護、福徳和合、縁結びの神さまとして親しまれています。

伊豆山神社の境内を歩く

伊豆山神社の境内は、海岸線からそそり立つような急峻な山の斜面にあります。参道はほぼ階段。熱海駅からバスで訪れる場合は、かつての広大な境内を横切って走る国道135線沿いから階段を上っていきます。古来の参道は、国道からさらに下にある伊豆山浜から続いています。車で出かける時は、参道の中腹や本殿の脇にある駐車場が利用できます。

階段は全部で837段。かつてこの参道は、走り湯が湧く伊豆山浜から境内まで一直線に延びていました

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、伊豆・蛭ヶ小島に配流されていた時から、伊豆山権現に熱心に通っていました。崇拝することとなったきっかけは定かではありませんが、罪人といえども比較的行動が自由だった頼朝にとって、中伊豆から日帰りで出かけられる学びの場、また、気分転換にも最適な場所だったのではないでしょうか。ここで、阿闍梨覚淵(あじゃりかくえん)という僧侶から写経の指導や仏教の教えを学んだと伝わっています。

こうして、伊豆山権現の存在が頼朝の中に深く刻まれ、後の平家打倒の挙兵の際にも心の拠り所となりました。神仏の加護を受けた頼朝は、平家を滅ぼし江戸時代まで続く武家政権の礎を築きました。

当時は当然駐車場などありませんから、頼朝も参道の石段を登って参拝したはず。石段を登り詰めた境内からは、伊豆半島や相模灘の景色が望めます。昔から変わらぬ自然の風景を頼朝もここから眺めたのだと想像すると、歴史のロマンを感じますね。

境内から伊豆半島、相模湾を望む。眼下の様子は時代とともに変わって、自然の風景は変わりません
本殿に向かって左にある光石。思い悩んだ時、困難にぶつかった時に、正しい道を指し示し導く道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに天から降りてきたのが、この光石と言われています。触ったり腰掛けたりすることで、神さまからのパワーをいただけます

頼朝の出世にあやかり、強運守護を願う多くの武将も崇拝した伊豆山権現

鎌倉時代以降、多くの武将が伊豆山神社を崇拝します。頼朝は伊豆山権現とともに二所と呼ばれた箱根大権現(箱根神社)にもよく参詣しました。ともに密教が土台になっている二所は、富士山・箱根・伊豆半島という大きな修行の場の中で深い繋がりのあるスポットでした。源頼朝は、伊豆山権現で神仏について深く学び、一方多くの僧兵がいた箱根大権現では武術の腕を磨き、文武両道に秀でた人物となったと考えられています。
正月には伊豆山権現と箱根大権現を詣でる二所詣を行い、これは鎌倉幕府将軍の正月恒例の行事となりす。その後、平氏打倒の挙兵直前に戦勝祈願をした、伊豆国一宮の三嶋大社を加えた三社詣が、武将の間に広まっていきました。

本殿には、多くの魚の中で鯉だけが滝を登り龍に変化したという故事にちなんだ、鯉の滝登りの彫刻が施されています。まさに立身出世を祈念する神社にふさわしいモチーフです
頼朝ゆかりの三社詣では、頼朝の篤い信仰心を感じることができます

現在、伊豆山神社、三嶋大社、箱根神社の三社詣専用の御朱印帖が、三島駅南口の三島観光案内所、三嶋大社、箱根神社お休み処「権現からめもち」などで販売されています。御朱印帖を片手に、頼朝にゆかりの三つの神社を巡ってみるのも楽しいですね。
(注:伊豆山神社では御朱印帖は販売していません。)

豊臣秀吉の小田原攻めの後、現存する社殿の基礎をつくった徳川家康

鎌倉幕府滅亡後、足利氏や後北条氏も崇拝した伊豆山権現でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、後北条氏の守りの要でもあったため、そのほとんどが焼き討ちに遭いました。
その後、復興に寄与したのが、源頼朝を崇敬していた徳川家康です。家康もまた、天下取りを祈念して伊豆山権現を篤く崇拝しました。現存している社殿がいつ建てられたかは定かではありませんが、現在の境内の原型は、家康によって築かれたもの考えられています。江戸時代には12の僧坊と7つの修験坊が建ち並ぶまでに復興しました。

境内にある雷電社。政治を司り導く神さまとして頼朝も崇敬し、「光の宮」との別名で吾妻鏡にも記録が残っています。鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興、その後、足利氏、徳川秀忠が改築をしています

源頼朝と北条政子の縁を結んだ伊豆山神社

伊豆山神社には、源頼朝と北条政子にまつわる多くのエピソードが残されています。ふたりがこの地で逢瀬を重ね結ばれたことから、縁結びの神さまとして若い女性やカップルの参拝客も多く訪れます。境内にある結明神社には日精、月精という夫婦神が祀られています。境内から本宮社に向かう山内には結明神本社があり、男女の縁結びを叶えてくれる神様として、古くは若い男女が参列する神事も行われていたそうです。

頼朝と政子が腰掛け、愛を語ったと伝わる腰掛け石。まるでベンチのような形です
頼朝と政子にちなんだ御朱印も授与しています
境内にある結明神社に祀られているのは、さまざまな縁を結ぶ神様。政子という人生の伴侶だけでなく、頼朝の鎌倉殿への道筋も結んだのかもしれません

伊豆山の温泉を生み出す紅白の龍

伊豆山神社の手水舎に赤と白の龍があります。赤龍は火、白龍は水を司る神さまの化身で、二龍の力を合わせてこの地に温泉が生み出されます。

富士山から地中に入った龍の尾が箱根の芦ノ湖にあり、日金山に連なる山を背骨とし、頭部が伊豆山にあるという、伊豆山、箱根、富士山を繋ぐ信仰も生まれました。

手水舎の赤白二龍。走り湯の守護神で、強運・天下取りの神さまでもあります

伊豆山神社へのお参りと一緒に、走り湯にも訪れてみましょう。

【関八州総鎮護 伊豆山神社】
住所:〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708-1
電話:0557-80-3164
営業時間:境内自由
定休:無休
料金:境内無料
駐車場:あり
ホームページ:https://izusanjinjya.jp/

霊験あらたかな走り湯で温泉のパワーを浴びる

毎分170リットルの温泉が湧き出す走り湯。湯の温度は70度

伊豆山神社は、「走湯権現」とも呼ばれていました。これは「走り湯」を神格化した呼び名です。大地から湧き出て、病や傷病の治癒、長寿に効果がある温泉は、古くから信仰の対象になってきました。伊豆山の走り湯は、愛媛県の道後温泉、兵庫県の有馬温泉と並ぶ日本三大古湯のひとつです。

走り湯の源泉を守護する神社。走り湯の洞窟の上に建っています

走り湯は、山腹から湧き出でた温泉が走るように海岸線に流れ落ちる様子から名付けられた、全国的にも珍しい横穴式の源泉です。洞窟内には湯気がもうもうと立ちこめ、天然のミストサウナのよう。ボコボコと音を立てて湧く源泉も迫力があります。
温泉が発見されたのは、およそ1200年前。役行者小角(えんのぎょうじゃおづね)が五色の湯けむりを目にし、走り湯の湯滝を浴びてこの地で修業をしたそうです。これをきっかけに、伊豆山には修験者が多く集まり、山岳信仰が盛んになっていきました。
時代が下るにつれて、信仰の対象だった走り湯にも、いつしか湯治を兼ねた旅行者が増えていきます。伊豆山権現を復興した徳川家康が熱海の温泉を好んで良く立ち寄ったため、各地の諸大名も訪れるようになり、熱海は温泉のまちとして全国に名を馳せるようになりました。

※走り湯では入浴、足湯はできません。

【走り湯】
住所:〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山604-10
電話:0557-81-2631(伊豆山温泉観光協会)
駐車場:なし

MOA美術館で、心が癒やされる風景と琴線に触れるアートを堪能する

メインエントランスは、すっきりとしたモダンな印象。バスで訪れるなら、エスカレーターや円形ホールなど、メインエントランスに着くまでの空間も楽しめます

相模湾を一望するロケーションに建つMOA美術館。創立者・岡田茂吉氏は、日本の貴重な美術品が海外に流出するのを少しでも防ぎたいと、第二次世界大戦後から本格的に美術品を収集してきました。そして、海が見える場所に美術館を作りたいと選んだのが、伊豆山の地でした。現在、約3500点の収蔵品があり、その中には、国宝3点、重要文化財67点、重要美術品46点があります。

エントランスからメインロビーへ。まず出迎えてくれるのは、180度の大パノラマで広がる相模灘の眺望です。天候に恵まれた日には、初島や伊豆大島はもちろん、房総半島や伊豆七島まで見渡せます。景色に集中できるよう、ロビーは白を基調に設えています。

まばゆい光を放つ黄金の茶室。サイズや組み立ての仕様も、桃山時代の文献資料に基づいて再現しています

もう一つは、豊臣秀吉が作らせたと言われている「黄金の茶室」。畳と障子は赤、壁と天井は金色と、随所に黄金が施され豪華絢爛さが伝わってきます。

また、収蔵品の一つに豊臣氏滅亡の大阪の陣の原因となった「方広寺鐘銘」の草稿もあります。豊臣秀吉の息子秀頼が方広寺を再興した際に鋳造した鐘の銘文にあった「国家安康」が、家康の名前を分割していることから徳川家を呪詛している、一方で「君臣豊楽」と豊臣家の繁栄を祈念していると、徳川家康は非難をしました。これにより徳川家と豊臣家の関係が悪化、大坂冬の陣に至りました。

「方広寺鐘銘」は現在展示しておりませんが、こうした貴重な書が収蔵されていると思うと、歴史の転換点を目撃したような気分になります。

MOA美術館の楽しみ方は、展示品の鑑賞だけではありません。桜、紅葉、椿などが彩る、四季を体感できる庭園もぜひ散策してください。日本の伝統的な数寄屋建築と庭園を楽しむ「茶の庭」、木漏れ日が美しい竹林は、街の喧騒とは無縁。風にそよぐ葉擦れの音をBGMに自然に包まれる贅沢な時間が過ごせます。

美術品鑑賞に集中できる展示室。低反射高透過のガラスと背面の黒漆喰の壁により、ガラスの存在感を極限まで消し去っています
清浄な植物として、古来から日本人に親しまれてきた竹。MOA美術館敷地内の斜面には、遊歩道が整備された竹林が広がります

ひとしきり館内を巡ったら、極上スイーツでティーブレイクにしましょう。「La Pâtisserie du musée par Toshi Yoroizuka(ラ・パティスリー・デュ・ミュゼー・パール・トシ・ヨロイヅカ)」は、日本人パティシエの第一人者・鎧塚俊彦氏がプロデュースしたスイーツ店です。店内のインテリア、テーブルウエアとともにトシ・ヨロイヅカのスイーツをいただけば、文字通り五感でアートを堪能できます。

落ち着いた設えの店内。庭園の緑を見おろすテラス席も用意されています
爽やかな甘酸っぱさが舌の上でとろけるカシスのムースケーキ「カシス」。香り高い紅茶と一緒に午後のひとときを
【MOA美術館】
住所:〒413-8511 静岡県熱海市桃山町26-2
電話:0557-84-2511
営業時間:9:30〜16:30(最終入館16:00)
定休:木曜日(祝休日の場合は開館)、展示入れ替え日
料金:一般1,600円、高大生1,000円、中学生以下 無料、シニア割引1,400円、障害者割引800円
駐車場:200台(無料)
ホームページ:https://www.moaart.or.jp/

まとめ

鎌倉時代以降、多くの武将たちが起請文を奉納し、武運長久や天下取りを祈念した伊豆山神社。今もその神徳にあやかろうと多くの参拝客が訪れます。伊豆山神社の境内に佇むと、太古から続く信仰の場の凜とした空気に包まれるとともに、温泉に象徴される大地が生み出したパワーも感じられるようです。

古くからの歴史を刻む伊豆山で、素敵なご縁ときれいな風景、日本に受け継がれてきた美に出会える旅を楽しんでみませんか。