徳川慶喜公が愛でた庭園を眺めながら、静岡ゆかりの料理を味わう
JR静岡駅北口から徒歩3分。静岡の一等地にある“浮月楼”は、江戸時代に徳川幕府の代官屋敷があった場所。
明治2(1869)年1月、今注目を一身に集めている渋沢栄一が、銀行兼総合商社 “商法会所”を創立した場所であり、大政奉還後の謹慎が解けた十五代将軍・徳川慶喜公のために用意した屋敷でもあります。慶喜公は同年10月から明治21(1887)年までの約20年間をこの地で過ごされました。入り口には“徳川慶喜公屋敷跡”の文字もしっかり。
十五代将軍・徳川慶喜公といえば「歴史上の人物」と、まるで現実味のないイメージを覚えますが、実際はわずか150年ほど前にこの地に実在した、とても近い存在だったのだと気付かされます。館内に入ると慶喜公の書も飾られていました。
今回は浮月楼を受け継ぐ代表取締役会長・久保田隆さんに案内いただきます。
代官屋敷から迎賓館へ。明治 25年“浮月楼”に改名
慶喜公が移り住むと同時に整備された池泉回遊式の日本庭園は、京都から呼び寄せた庭師、6代目小川治兵衛に造らせたもの。もともと3500坪以上あった敷地は、現在約2100坪ですが、水戸の梅、桜、台湾竹のほか、小松宮彰仁親王から贈られた菊花紋の灯籠、秋月種樹の漢詩を刻んだ石碑など、歴史に触れる数々のものが配されています。
明治21(1888)年に東海道線が開通すると、その喧騒を避けるため慶喜公は静岡の西草深へと転居。その後、屋敷は明治24(1891)年に静岡の迎賓館“浮月亭”として開店。翌25(1892)年に“浮月楼”へと改名し今に続きます。
開業当時の建物は昭和15(1940)年の静岡大火で焼失。昭和17年、吉田五十八によって再建されたものの、昭和20(1945)年の戦災で再び焼失。現在の建物はその翌年に建て直されたものですが、築山や橋の位置は慶喜公の時代と変わらないままというのも感慨深いですね。
庭の一角にある子福稲荷神社の石碑には享保18年の文字。代官屋敷の頃は、縁日の時に庭も開放され一般市民も参拝していたそうです。慶喜公がそのまま残したこともあり、現在も大切に祀られています。
木々と野鳥、自然と料理で味わう四季の移ろい
駅から徒歩圏内でありながら、一歩門をくぐればそこに広がる景色は目を見張るほど美しく、池に浮かぶ月の姿から“浮月”の名を冠した浮月楼。
静岡の迎賓館として誕生し、料亭旅館としての歴史を持つ浮月楼本館に隣接する“レストラン浮殿”では、慶喜公が愛でた庭園を眺めながら、四季の旬を味わう懐石料理をリーズナブルに楽しめます。
おすすめのお料理は、彩り豊かな料理を井桁のお弁当箱に詰め込んだ「新桟敷松花堂」5000円(税別)。
基本に忠実に一つ一つ丁寧に手間をかけ、五味五食を心がける料理は、静岡の地鶏やマグロ、地魚、黒はんぺん、みかんや茎わさびなど地元食材を使用。煮物や汁物など、料理に使う出汁はすべて利尻昆布とまぐろ節から取るまぐろ出汁を用いるのも特長です。素材の味を引き立てながらもまろやかなやさしい味わいを作り出せるのもこの出汁あってこそ。まぐろ出汁で味わう「まぐろ鍋御膳」も人気です(冬季限定)。
そしてデザートにはパティシエ特製の和三盆を使った「大政奉還プリン」も。こちらは持ち帰りでの販売もしているのでおみやげ(1個300円・税込み)にもどうぞ。
庭園を一望できる店内からは、ピンクや白の花を咲かせる梅や青々とした竹林、春には満開の桜が。テラス席では足下を流れる小川のせせらぎや木々の葉擦れ音、小鳥のさえずりがBGMに。暖かな季節には店内の窓も全開にし、より開放感のある空間で自然を肌で感じながら食事を楽しめます。
今後は静岡の健康食をテーマにした“スマートミール”が登場する予定。地元食材で静岡らしさを引き出しつつも、塩分や総カロリーなどを計算されたヘルシー料理は、刺し身や煮付けをメインにした魚ミールのほか、肉ミール、大豆ミールもあり、おいしいものを少しずつたくさん食べたい女性や年配の方におすすめです。
テラスには個室風の席もあり、歴史ある日本庭園を愛でながら、静岡の旬を味わう懐石料理は、結婚前の両家の顔合わせや成人式といった記念の席や法事にも最適。夜はライトアップもありカップルでお酒を愉しむのもステキです(現在は昼営業のみ)。
慶喜公と渋沢栄一、浮月楼の歴史を知る
食後は慶喜公と浮月楼の歴史を伝えるギャラリーへ。
謹慎が解け、この地で暮らし始めた慶喜公は、ごく当たり前に外に出て自転車に乗ったり、西洋の服を着たり、西洋銃で猟をしたりと、歴代の将軍とは異なり現代人に近い感覚を持っていたそう。
浮月楼で暮らしていた頃の慶喜公の写真は、政治を遠ざけ趣味に没頭していた頃ということもあり、想い描く将軍像とはまったく異なる姿でとても驚きました。
徳川家が最後に選んだ場所が静岡だったというのも、他の地域では幕府は悪人とされていた時に、武士とその家族を合わせ15,000人を受け入れた静岡の人のやさしさや温かさがあったからこそ。庶民からは、「けいきさま」、「けいきさん」と呼ばれ親しまれていたといいます。
そのほか渋沢栄一が書いた慶喜公の伝記や慶喜公を囲んで開いた座談会の内容を記した“昔夢会筆記”なども展示。
渋沢栄一にとっての恩人が慶喜公であり、慶喜公にとっても渋沢栄一との関係はとても深いものだったそう。たった150年前に確かにこの2人がこの地に居た。同じ場所に立ち、同じ空気を吸っていた。そんな2人に想いを馳せながら浮月楼・浮殿でのひと時を味わってみてはいかがでしょうか。
<DATA>
■浮月楼
住所:静岡市葵区紺屋町11-1
TEL:054-252-0131