富士山の裾野に広がる富士宮市。そのシンボルともいえるのが、富士山本宮浅間大社です。全国に1300ほどある浅間神社の総本宮で、主祭神は、「浅間の大神(あさまのおおかみ)」とも呼ばれる「木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)」。火難消除・安産・航海安全などのご利益があります。
この地に創建されたのは806年。927年にまとめられた「延喜式神名帳」にも名を連ね、駿河国一之宮として地域で最も格式の高い神社として位置付けらました。鎌倉時代以降は、有力武将も土地や社殿の寄進をするなど、この地を治める権力者の篤い崇敬を受けてきました。
そこで、今回は大河ドラマでもたびたび主役に取り上げられる、武将たちとの関わりに注目しながら参拝してみました。その後は周辺スポットにも足を伸ばします。
境内に現存する武将ゆかりのスポットを巡って、歴史に思いを馳せる
「富士本宮浅間社記」によると、紀元前27年、繰り返される富士山の噴火で周辺地域の住民は離散し、土地は荒廃していたため、浅間大神を祀り噴火を鎮めようとしたのが起源とされています。当時の社は特定の場所にはなく、山足の地と呼ばれる富士山の麓を転々としていました。
110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東征の際に浅間大神に祈念することで、賊徒の襲撃による窮地を脱したことから、山宮に神霊を祀りました。その場所が、富士山本宮浅間大社から北に約6kmに位置する、現在の山宮浅間神社です。
その後、平城天皇の命を受けた征夷大将軍の坂上田村麻呂によって、806年に「大宮の地」に社が建てられました。これが現在の富士山本宮浅間大社の始まりです。神社の成り立ちにも武人が関わっていたのですね。
今も続く流鏑馬神事の起源は源頼朝
では、鳥居をくぐって参道を進みましょう。楼門前の左右にひらけた土地は、春には桜並木となる、桜の馬場です。毎年5月に浅間大社流鏑馬式が行われます。1193年、源頼朝が富士の巻狩に際して、武運長久・天下泰平を祈念して奉納した流鏑馬は、現代まで続く伝統ある神事です。
ちなみにこの時、後に鎌倉幕府二代執権となる北条義時が社殿の修理を行ったとの記録も残っているそうです。
徳川家康が造営した荘厳な社殿
馬場を渡り、荘厳な楼門をくぐります。現存する楼門、拝殿、本殿は、1604年に徳川家康が造営しました。関ヶ原の戦いに勝利した御礼にと30近い社殿を造営したそうですが、現在残るのはこの3つ。本殿は国の重要文化財に指定されています。天災や太平洋戦争での空襲、火災による焼失を免れてきたのは、まさに木花之佐久夜毘売命のご利益でしょう。
社殿には江戸時代初期の寺社建築の特徴がいっぱい
参拝を済ませたら、拝殿の上部に注目してみてください。もともとは屋根の重さを支える構造として必要だった、蟇股(蛙股・かえるまた)と呼ばれる部材の間に植物と鳥の彫刻が施されています。これらは江戸時代初期の寺社建築の特徴です。
蟇股(かえるまた)の彫刻で最も有名なのは、日光東照宮の眠り猫ではないでしょうか。
徳川家康の最大の“寄進”とは?
武将の中でも、もっとも篤く崇敬を寄せた徳川家康。その最大の寄進は、奥の宮が祀られた土地、つまり富士山頂でしょう。1606年、徳川家康が富士山の八合目以上を富士山本宮浅間大社のものとするお墨付きを与えたのです。1779年には、徳川幕府により正式にに境内と定められています。その後、明治政府に土地を没収されましたが、現在も八合目以上は同社の私有地と正式に認められています。
武田信玄が植えた桜は二世が現存
拝殿に向かって右、絵馬が奉納されている中心で大きく枝を広げるしだれ桜は、信玄桜と呼ばれています。武田信玄が後北条氏との戦での勝利を祈念し、その御礼に寄進した桜の二世です。
武田信玄の息子、勝頼が奉納した刀や甲冑なども残されているそうです。
この他にも室町幕府を開いた足利将軍家、豊臣秀吉などによる社殿の造営や寄進も資料に残り、その時代の有力者に大切にされていたことが伺えます。
富士山の恵み、清らかな水が湧き出る境内
なぜ806年の遷座でこの地が選ばれたのか。その理由は、境内の奥にある湧玉池です。この時代の富士山はまだ頻繁に噴火していたため、大量の水が湧き出るこの地が、火を噴く山の神を鎮めるのにふさわしいと考えられたようです。後に噴火が落ち着く中世以降、山岳信仰が盛んになると、富士山に登る人々はここで禊ぎを行い登頂していきました。
湧玉池には、毎秒2.4キロリットルの水が湧き出ています。水温は一年を通して13℃。夏、手を水につけるとひんやりとしてしばしの暑気払いができます。ところどころで水が湧き出る様子が見られ、ここを水源とする神田川の流れからは水量がいかに豊富かわかります。
参道の途中には、朱塗りの橋が架かった鏡池があります。条件が良ければ、水面に逆さ富士が見られます。
また、本殿の下にも水が湧いているという噂もあるそうです。これも澄んだ水が豊富に湧き出る土地ならではのミステリーですね。
【富士山本宮浅間大社】 住所:静岡県富士宮市宮町1-1 電話:0544-27-2002 営業時間:5:00~20:00(季節により変動あり) 定休:無休 料金:境内無料 駐車場:1時間200円、1日1,500円 URL:http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/
ご当地グルメの草分け的存在「富士宮やきそば」を食す
富士山本宮浅間大社の参拝後は、目の前にあるお宮横町へ。ここでは、B-1グランプリで初回・2回目と連続して王者に輝いて殿堂入りを果たした富士宮やきそばをいただきましょう。
富士宮やきそばの一番の特徴は、なんといってももちっとした食感の麺です。市内に4つある製麺業者のいずれかの蒸し麺、肉かす、イワシの削り粉(だし粉)を使うのが富士宮やきそばの主な定義。具材には富士宮の高原キャベツのほか、お店ごとにアレンジが加えられ、多彩な味の食べ比べも人気です。
富士宮やきそばアンテナショップでは、最もオーソドックスな富士宮やきそばを提供、基本となるベーシックな味が堪能できます。
富士宮やきそばアンテナショップの「富士宮やきそば」は具材はシンプルにキャベツと肉かすのみ。噛めば噛むほど、麺の甘みと肉かすの香ばしさが口いっぱいに広がります。使う麺は「曽我めん」製。製麺時に富士山の地下深層水が使われています。また、調理の際にも富士山の湧き水で麺を蒸します。
辛い「激香夏麺(げっこうかめん)」も一緒にオーダーして食べ比べました。麺に練り込まれた唐辛子ペーストが思いのほか刺激的。それでいて後を引くおいしさでした。
【富士宮やきそばアンテナショップ】 住所:静岡県富士宮市宮町4-23 お宮横丁内 電話:0544-22-5341 営業時間:10:00~17:00 定休:無休 駐車場:なし、浅間大社、または近隣の市営駐車場を利用 URL:https://prosumer-inc.com/
成り立ちから信仰、芸術まで。富士山のすべてがわかる静岡県富士山世界遺産センター
2013年、世界文化遺産に登録された富士山。静岡県富士山世界遺産センターは、火山である富士山の成り立ちや、信仰の対象、芸術の源泉としての姿を常設展示で親しみやすく伝える施設です。
施設内は各階をゆったりとしたらせん状のスロープ「登拝する山」でつなぎ、時間や季節によって異なる富士山からの眺望が楽しめるタイムラプスの映像とともに、富士登山を疑似体験できます。
最上階は展望ホール。屋外テラスからは目の前に堂々たる裾野を広げる富士山を望み、壮大な景色に見入っていると時間が経つのも忘れそうです。
施設の中心に展示されているのは、「富士山曼荼羅図」。室町時代に描かれたとされ、麓には富士山本宮浅間大社の社や、禊ぎをする人々の姿が描かれています。当時の登拝のルートや山岳信仰における世界観が表されています。
ちなみに、江戸幕府による登山禁止の命令を押し切って山頂まで登った大名がいます。江戸時代後期の宮津藩6代藩主、本庄(松平)宗秀です。幕府から降りた許可は中腹まででしたが、それを守らずに山頂まで登ったそうです。
【静岡県富士山世界遺産センター】 住所:静岡県富士宮市宮町5-12 電話:0544-21-3776 営業時間:9:00~17:00(7、8月〜18:00)※最終入館は、閉館の30分前 定休:毎月第3火曜日、施設点検日、年末年始 ※第3火曜日が祝日の場合は開館、翌日休館 料金:一般300円、団体(有料観覧者20名以上)200円、15歳未満・70歳以上・学生・障がい者等無料(要証明) ※企画展は別途 駐車場:なし、富士宮神田川観光駐車場(有料)を利用 URL:https://mtfuji-whc.jp/
まとめ
徳川家康の時代から焼失することなく残る富士山本宮浅間大社の社殿。境内を「武将との関わり」という視点で巡ると、歴史や建造物の細かなところにまで興味をひかれます。また、なぜ武将たちがそこまで崇敬したのかを考えると、富士山が本当に特別な存在だったことがわかります。
日本一の富士山と、その神霊を祀る駿河国一之宮。そして日本一のご当地グルメ。今回紹介した3つのスポットは、ぜひ合わせて訪れてみてください。