江戸時代から昭和29年まで、「伊豆石(いずいし)」と呼ばれる石材(軟石)を切り出していた石切場(石丁場)跡の「室岩洞(むろいわどう)」。伊豆の中で唯一の観光石丁場として一般に無料開放されています。今回、伊豆半島の成り立ちを感じさせる「室岩洞」を訪れたのでその魅力に迫ります。
今回室岩洞を案内してくれたのは
伊豆半島ジオガイドの渡辺攻さん(左)、松崎町観光協会の清水里司さん(右)のお二人。全長180mほどの「室岩洞」は暗く、道路も入り組んでいてわかりにくいので、初めて訪れる場合はガイドをお願いすると安心です。
ジオガイドの予約は、5日程度前までに松崎町観光協会に連絡すれば、ジオガイドを紹介してくれるとのこと。料金は1時間ガイド1名で4,000円。室岩洞の場合、通路が狭いので10名程度までガイド1名で対応してくれるとのことです。
なお、「室岩洞」は滑りやすく、階段も急なので、歩きやすい靴、服装で訪れましょう。
「室岩洞」入口の向かいに駐車場あり。案内図で確認を
まずは駐車場に車を停め、案内板で「室岩洞」について確認しましょう。伊豆半島は今から2,000〜1,000万年前、はるか南の海底火山、深い海底で火山活動が起き、その後、1,000〜200万年前に今度は浅い海で火山活動が起こり、隆起し始めます。やがて200〜100万年前に本州への衝突が始まり、60万年前に伊豆半島の原型が完成。
今も火山群を持つ伊豆半島は、まさに生きている半島とも言えるのです。海底火山の噴出物のうち、火山灰や軽石は、長い年月をかけて石へと姿を変えました。二酸化ケイ素(ガラス成分)を含み、加工しやすく耐火性にも優れたこの石材は、「伊豆軟石」として重宝され、敷石や石仏、道祖神に加工されたり、耐火性という性質を利用して蔵に使われたりするなど、当時はたいへん貴重な資源でした。
幕末期の黒船襲来の折には、江戸を守るため、大砲を置く砲馬を築くために用いられたとのこと。また、火山から流れた溶岩は非常に硬く、「伊豆堅石」と呼ばれ、江戸城などの石垣に使われたと言います。
滑りやすく、段差も大きい階段。桜の木があり、春には花見、秋には紅葉が楽しめそうです。また珍しい山野草も多く、つい足を止めてしまいます。
初夏に咲く「タツナミソウ」という山野草。階段の途中で見ることができます。
破れた傘のような葉の形をしていることからその名がついた「ヤブレガサ」。新芽は柔らかく、天ぷらやおひたし、ごま和えなどにして食べることができます。
入ってすぐに人(石工)の像が
洞内に入ってすぐに人(石工)の像が。洞内のところどころに、採石当時の様子を想像させてくれるような人(石工)の像が置かれており、時々驚かされます。今の入口部分は、採石した時に出るズリと呼ばれる掘りカスを運び出していた場所。この場所には、そのズリがたくさん積まれています。
この部分の天井付近の壁に縦のラインがあり、その下には横のラインが刻まれています。縦のラインは「垣根掘り」と呼ばれ、縦に石材を切り出しながら奥に掘り進んでいく掘り方。この垣根掘りで奥に掘り進めた後、一定の広さが出来ると、今度は下方向に掘り下げていく「平場掘り」で採石。上から下へと掘り進めていった痕跡を見ることができます。
手彫りのノミの跡
ちょうど拳(こぶし)が入るサイズの溝があります。これは手彫り際に使用されるのノミの跡。そのまま残されているので、こんなふうにして掘っていたのかということが推測されます。
天井にある突起物は、火山噴火の痕跡(こんせき)
「室岩洞」の石は、海底火山の噴火による軽石や火山灰の降り積りでできたものです。洞内の天井や壁をよく見てみると、ところどころ突起物のような石が。これは火口から飛んできた火山弾。海底火山の噴火で火山灰だけでなく、マグマの塊(噴石)が飛んできたことがわかります。火山弾は硬いため、これを避けて採石していたようです。
迷路のように入り組んだ通路
ところどころ「順路」と書かれた案内板があり、その通りに進まないと「室岩洞」の全貌(ぜんぼう)を見学することができません。ただ、正直なところ、ガイドの案内がないとわかりにくいかもしれません。ちなみに、設置された蛍光灯の周りには植物が生息しています。植物の生命力の強さを感じます。
斜めに入った溝は雨樋の役割
この斜めの溝は、岩からしみ出た水を導く雨樋(あまどい)の役割をしていたようです。室岩洞では、こういった溝がいくつも見られ、そして地下水を貯めておくための石室跡(いしむろあと)が残されています。
「ここに金魚を放った人がいて、困っているんです」と話すガイドの渡辺さん。よく見てみると、2匹の金魚がじっとしていました。救出を試みたそうですが、水深が深くなかなか難しいようです。
石材の規格は江戸期と昭和で変わっていた
こちらが切り出した石材のサイズ見本のレプリカ。江戸末期は2尺8寸×5寸×6寸、昭和になって3尺×5寸×6寸と決められていたそうです。サイズがなぜ変わったかは、よくわかっていないとのこと。
石丁場の奥にある出入口のような場所
石丁場の奥に、明るい出入口のような場所があります。実は本来はここが入口だったようで、見上げると垂直に切り立った壁は、先程見た「平場堀り」の跡。坑道を掘らずに地表から渦を巻くように掘っていく「露天掘り」で掘り下がって来たようです。壁にハの字の溝が刻まれてあり、これが雨樋の役割を果たし、洞に水が入らないようにしていたとうかがえます。
「イワタバコ」と呼ばれる山野草。日陰の湿った岩場などに生え、タバコの葉に似ていることからこの名がついたそうです。
夏に紅紫のかわいい花をつけます。「室岩洞」ではこの場所でしか確認できないそう。
当時は、現在の「室岩洞」の入口(駐車場)部分は、道がない山のままになっており、山越し、もしくは海路しかありませんでした。道路が整備されたのは、石丁場がその役目を終えた昭和29年から18年後の昭和47年。当時、過酷な環境下で石を切り出し、そして輸送していたことがわかります。
切り出した石は、ここから海路で対岸の浜丁場へ
石丁場で切り出された石は、この高い崖の上から下に滑り落とし、小舟で対岸の浜丁場まで運んでいたようです。この場からその様子を確認することはできませんが、ガイドの渡辺さんが運び出していたと思われる、石を滑らせた跡の(U字型の溝)写真を見せてくれました。
浜丁場に運んだ石は、さらに大きな船に載せ、江戸へと運ばれていきました。陸路は背後に天城山稜があるため、石を運ぶことはできなかったのです。やがて栃木県で大谷石の採石が始まり、海路よりも陸路の方が輸送コストが安いということで、伊豆石は次第に人気がなくなっていきます。
そして衰退した伊豆石は、ひっそりとその役目を終えました。ただ、伊豆石の採石技術は大谷に伝わったという記録が残っているようです。しかし、大谷石も、コンクリートブロックの登場により、採石量は減少していきました。
伊豆半島の隆起の歴史を感じる地形
崖部分を観察してみましょう。崖の白い部分は、火山灰や軽石が降り積もった「伊豆軟石」の部分。その白い部分の下の黒い部分が溶岩で「伊豆堅石」の部分。写真の右側下の方にある黒いブツブツした部分は、噴火の際、流れ出た溶岩が海中を流れ急激に冷やされバリバリに砕けた「水冷破砕溶岩(すいれいはさいようがん)」です。
伊豆半島の海底火山活動で噴出した堆積物は、隆起したことで激しい火山活動を思い起こさせる地形に。太古の歴史とロマンを感じさせてくれます。
帰りの道、入口の天井部分が「いいね」のマークに似ているとSNSで広まっているそう。犬の顔のようにも見えますね。
松崎町には他にもこんな見どころがあります
「花とロマンの里」をテーマに町づくりを勧める松崎町。町の至るところに季節の花が訪れる人々の心を潤してくれます。
松崎町を代表するなまこ壁通りは、写真スポットとしても人気です。
築300年の歴史を誇る「旧依田邸」
松崎町を訪れた際、「旧依田邸」にもぜひ立ち寄ってみましょう。江戸時代中期に建てられた「旧依田邸」は、伊豆で2番目に古い木造家屋。松崎町を代表するなまこ壁の原型はここにあると言われています。
依田家は、江戸時代には木炭生産と廻船を生業に、第11代当主の依田佐二平、明治時代には製糸業を中心とした殖産業を行い、国会議員として地域に尽くしました。昭和36年にはホテルとして営業を行い、趣ある雰囲気の部屋に宿泊できるとして人気があったそうです。
県の文化財指定を受けたホテルの営業を終えた今は、松崎町が管理し、一般に無料公開しています。製糸業を営んでいた当時の様子と、庄屋の名残を感じる雰囲気。時間があれば、ぜひこちらにも立ち寄ってみてください。
詳しくはこちら▶︎ https://izumatsuzakinet.com/静岡県指定文化財-旧依田邸/
●室岩洞
所在地:静岡県賀茂郡松崎町道部816-1
洞窟内の点灯時間:8:30〜17:00
※電気が消えると洞窟の中は真っ暗になるため、16:30以降は危険防止のため中に入らないようお願いします
●静岡県指定文化財 旧依田邸
所在地:静岡県賀茂郡松崎町大澤153
TEL:0558-36-3020
開館時間:7月~9月10:00~16:00、10月~3月10:00~15:00
休業日:年中無休
料金:無料
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松崎町観光協会 https://izumatsuzakinet.com