江戸時代、徳川幕府によって東海道が整備されると、次第に人々の東西の行き来も盛んになりました。文化・文政期(1804〜1830年)頃には、滑稽本や浮世絵に描かれた景色を一目見たいと、庶民の間でも旅ブームが起こりました。歌川広重が描いた「東海道五十三次」のうち、2つの峠と8つの宿場町がある静岡県中部の静岡市と藤枝市には、歴史的価値の高い史跡や名勝、建造物が残っています。今なお、江戸時代の旅人気分で歩ける街道。日本遺産にも認定されている駿州(すんしゅう)地域にある「二峠八宿」をご紹介します。
「東海道中膝栗毛」が発端となった、庶民の旅ブームとは?
東海道は物資の輸送や大名の参勤交代のために幕府が整備した、いわば当時の国道でした。東海道の宿場は江戸と京を結ぶ五十三次と、後に大阪までの五十七次となり、各宿場町や寺社仏閣、風光明媚な景色は名所と言われ、人びとの旅への憧れをかきたてました。江戸時代中期の1802年、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」が出版されると、庶民の間でも、たちまち旅ブームが起こりました。その後も、歌川広重が「東海道五十三次」を浮世絵で描くと、これも大人気になりました。当時は、こうした出版物が旅のガイドブックのような役割を担っていたのです。
江戸時代に旅ブームを起こした「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九は、駿河国府中(現在の静岡市葵区両替町)の出身。物語の珍道中の主人公は、同じく駿河国府中出身の弥次さんと駿河国江尻(現在の静岡市清水区)出身の喜多さん。東海道の中心にある駿州の魅力も、おもしろおかしく、たっぷりと描かれています。
弥次さん喜多さんの旅をなぞる、「駿州の旅」へ出かけましょう
2020年に、静岡市、藤枝市両市にまたがる二峠八宿を含む東海道エリアは、日本遺産【日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅 〜滑稽本と浮世絵が描く東海道のガイドブック(道中記)〜】に認定されました。江戸時代から残る旅籠や町屋、東海道が整備される以前から街道を見守ってきた古刹、街道でひと休みする旅人が食べた名物グルメなど、35の構成文化財があります。
「東海道中膝栗毛」や浮世絵「東海道五十三次」に描かれた、絶景や街道グルメ、宿場町の風情。静岡市から藤枝市に至る旧東海道沿いを歩けば、江戸の庶民が憧れた旅の楽しみを、今も体験することができます。
静岡県内で唯一「歴史街道」と認定された蒲原宿
江戸を発った旅人は富士川を渡り駿州へと入ります。最初の宿場町が蒲原宿です。広重の浮世絵では雪深い風景が描かれていますが、実際は温暖な気候で雪はほとんど降らないことから、広重の創作した心情の風景ではないかと言われています。「蒲原」の名は、平安時代中期にまとめられた延喜式の中にも記載があり、古くから交通の要衝とされていました。旧東海道沿いには江戸時代後期に建てられた旅籠や町屋が、当時の面影を保ったまま残されています。
駿河湾の宝石・桜えびが名物の由比宿
静岡県内に22ある宿場町の中でも、最も規模が小さかった由比宿。かつての宿場町の中心部には由比本陣公園が整備されています。公園内にある「静岡市東海道広重美術館」では、広重の作品約1400点を収蔵。江戸の文化を身近に感じることができます。街道沿いを歩いていると、随所に「桜えび」の看板やのぼり旗が見られます。食事で味わったり、おみやげとして買い求めたりと、新鮮で美味しい桜えびが堪能できるのは、ここならではの体験です。
浮世絵で描かれた富士山と駿河湾の絶景が今も見られる薩埵峠
江戸の旅人が見た絶景と同じ風景が目の前に広がる、薩埵峠。由比宿を出た旅人は、この難所を越えて旅を続けました。峠の手前には、江戸時代に地域の名主だった小池家の住宅があり、「東海道名主の館 小池邸」として内部の見学ができます。さらに進むと「間の宿(あいのしゅく)西倉沢」。間の宿とは、宿場町と宿場町の間にあり、ひと休みできる茶屋などが集まっている小さな宿場町のような場所。道幅の狭い旧東海道沿いには古い町屋も残ります。
徳川家康ゆかりの清見寺が見守る、交通の要衝、興津宿
江戸時代に宿場町として栄えた興津。薩埵峠のふもとにある興津宿は、古代には「清見関」(きよみがせき)が置かれ、その関の守護のために設けられたのが「清見寺」(せいけんじ)と言われています。清見寺には、幼少期の家康(竹千代)が度々訪れていたことから「手習いの間」が復元されているほか、家康が接ぎ木をしたと伝わる臥龍梅(がりゅうばい)が今もなお庭園に生き続けています。清見潟の風光明媚な風景を眼下に見ることができることから、朝鮮通信使のもてなしの場にされていました。
三保松原や東海道名物追分羊かんが出迎える湊町、江尻宿
江尻宿には、静岡市内を流れる巴川の河口につくられた清水湊があり、江戸に物資を運ぶ海運で栄えていました。広重の「東海道五十三次」でも、湊を行き交う多くの帆掛け舟が描かれています。対岸には羽衣伝説が伝わる三保松原。松原と富士山が織りなす美しい風景は、日本で初めて国の名勝に指定されました。また、江尻宿には、東海道の名物と謳われた「追分ようかん」があります。竹の皮で包んだ蒸しようかんは、300年続く伝統の味。程よい甘さがお茶請けにぴったりです。
徳川家の威光が残る、東海道最大級の宿場、府中宿
駿府城公園や静岡浅間神社など、徳川家康ゆかりの社寺や旧跡が点在する府中宿。城下町として栄えた静岡市中心部には、江戸時代の町割りが残り、「駿府九十六ヶ町」と呼ばれる古い町名の碑をたどることができます。東海道中膝栗毛の作者十返舎一九は、現在も地名が残る両替町で生まれました。府中宿の名物は、きなこをまぶした餅に砂糖をかけた安倍川もち。家康が名付けたという伝承があります。
名物のとろろ汁で、旅人が元気をチャージした丸子宿
昔から精が付く食べ物として知られていたとろろ汁。宇津ノ谷峠を控えた丸子宿は、自然薯をすりおろし、だし汁と味噌で割ったもので伸ばしたとろろ汁が名物です。東海道中膝栗毛では、とろろ汁を食べ損なってしまった弥次さんと喜多さんですが、広重の描いた丸子宿の中では、茶店の店先でとろろ汁をすする弥次さんと喜多さんらしき人物が描かれています。慶長元年(1596年)創業の丁子屋が、名物の味と宿場町の茶店の風情を今に伝えています。
古代から現在の主要街道が集まる宇津ノ谷峠
静岡市と藤枝市の市境に位置する宇津ノ谷峠は、戦国時代、豊臣秀吉による小田原攻めの際に整備されたといわれています。
時代が変わり明治9年にはレンガ造りの「明治のトンネル」が開通しました。国道1号線という大動脈が通る宇津ノ谷峠は、現在4本のトンネルと、江戸時代の東海道、万葉の古道つたの細道があり、すべての道が“現役”として通行できます。
江戸時代の旅人気分を味わえる旅籠が残る岡部宿
岡部宿のシンボルは、宿場を代表する旅籠「柏屋」。1836年築の建物が残り、現在は「大旅籠柏屋」として、江戸時代の旅や人びとの暮らしぶりを伝える歴史資料館となっています。隣接した広場は、岡部宿内野本陣跡。門が再現され、内部の様子は平面表示で再現されています。岡部宿から藤枝宿に続く街道沿いには、ところどころに東海道の松並木が残っています。
人や物資が集まる活気溢れる問屋場があった藤枝宿
藤枝宿は、お茶やしいたけ、米、海産物など、里だけでなく山や海からもさまざまなものが集まり、市場としても繁栄しました。広重の東海道五十三次では、街道を運ばれる荷物の積み卸しをする問屋場(といやば)が描かれています。藤枝宿の本陣近くにある大慶寺の境内には、久遠の松と呼ばれる樹齢770余年と推定される黒松が、見事な枝振りで旅人を出迎え続けています。現在、旧東海道は地域の人たちの暮らしを支える店が建ち並ぶ商店街になっています。また、藤枝宿の中でも特徴的なのが、徳川家康が鷹狩の際に度々滞在したと伝わる田中城。本丸を中心に4重の同心円を描く円郭式城郭が特徴の全国的にも珍しい城でした。
まとめ
滑稽本や浮世絵に描かれた東海道の風景や名所、名物。江戸時代の人たちが目にし、訪れ、味わったものが、今なお残る、静岡市と藤枝市の街道をめぐる「駿州の旅」。日本遺産【日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅 〜滑稽本と浮世絵が描く東海道のガイドブック(道中記)〜】のストーリーをなぞりながら、江戸時代の旅人気分を味わってみませんか。